志多伯豊年祭の演目に青年女子による『水汲まー小』(ミジクマーグヮー)という踊りがある。
沖縄の古典音楽家であった故 屋嘉比清氏が作詞作曲したものだ。それに組踊保持者の舞踊家、海勢頭あける氏が振り付けをし、そこから指導を仰ぎ平成15年から志多伯豊年祭で演じられている。
何より、内容がいい。今でこそ、朝おきて顔を洗い、料理や洗濯など、蛇口をひねれば水がでる。ひと昔前は、朝おきて、二番鶏が鳴く頃からは桶を手に、井戸に水汲みをする作業から始まる。それも乙女たちの仕事であった。男たちは家畜の餌やりや草刈り。そういった過去の生活の様子を踊りや歌にして残すことは、現代の便利なことに対する感謝。そして何よりその源となる自然を大切にすることにつながる。祭りの源は、人々のくらしである。十五夜の月も、雨も風も、すべてが人々の生きる力となっている。豊年祭は、あらゆる困難も乗り越える力になる地域の絆をつくる。いろいろなことを想う機会になっている。獅子加那志の与える力は、計り知れない。
沖縄の古典音楽家であった故 屋嘉比清氏が作詞作曲したものだ。それに組踊保持者の舞踊家、海勢頭あける氏が振り付けをし、そこから指導を仰ぎ平成15年から志多伯豊年祭で演じられている。
何より、内容がいい。今でこそ、朝おきて顔を洗い、料理や洗濯など、蛇口をひねれば水がでる。ひと昔前は、朝おきて、二番鶏が鳴く頃からは桶を手に、井戸に水汲みをする作業から始まる。それも乙女たちの仕事であった。男たちは家畜の餌やりや草刈り。そういった過去の生活の様子を踊りや歌にして残すことは、現代の便利なことに対する感謝。そして何よりその源となる自然を大切にすることにつながる。祭りの源は、人々のくらしである。十五夜の月も、雨も風も、すべてが人々の生きる力となっている。豊年祭は、あらゆる困難も乗り越える力になる地域の絆をつくる。いろいろなことを想う機会になっている。獅子加那志の与える力は、計り知れない。